まだ知らぬ、命の恩人
まだ、入社1年生の時の話です。地下にコジェネレーションシステムのある現場でした。そのため、地下の最下層エリアはすべて区画(40部屋以上あったと思います)された蓄熱できる水槽でした。水槽の1つ1つには、マンホールのふたを取り付ける予定でした。
夕方近くだったと思います。わたくしはその蓄熱層の上部につけるマンホールのふたの型枠を大きなセットハンマーでたたいて外していました。地下室はわたくし一人で作業していました。いくつか取り外すことができたところでした。なかなか外れない型枠があり、セットハンマーを思い切り頭の上まで振りかざし、思い切りたたいて外してやろうと思ました。
1回目はうまくいって半分難なく取れました。もう片方も同じように思いっきり振りかざし取ってやろうと思いました。事件はその時起きました。
手こずるはずの型枠は軽く外れてしまい、力余って、振りかざしたセットハンマーの遠心力でわたくしは体が宙に浮いてしまいました。気が付いた時には、マンホールの穴に体半分が落ちかけていました。とっさに両手を広げ穴の中に落下することは避けることができましたが、穴の中央で両手を広げたまま身動きできぬ恰好でした。まるで体操選手の吊り輪で腕を水平にしている、あの格好です。
スラブの上に上がることができないまま、十数秒が立ったと思います。頭の中にちらっと走ったのは、もうあきらめて落ちるしかないな。でした。マンホールの中は真っ暗でどのくらいの深さか落下点がわかりません。暗闇に落ちていくのは危険だなと思いつつ、ほかに方法がないと思いました。腕もしびれてきてもうだめか。腕を離そうと思いました。
離した刹那でした。わたくしの体が宙に浮かび、気が付いたらスラブの上に座っていました。なぜ?瞬間のことで現実に戻るのに数秒かかったと思います。20メートルくらい先に職方さんの後ろ姿が見えました。あの人が引き上げてくれた?助けてくれた?ボーッと後ろ姿を眺めている間に、その方はドライエリアの光の中に消えていました。ほどなく、追いかけてお礼を言わないといけないことに気が付きました。走って追いかけましたが、その時にはもう影もありませんでした。誰であったか今だにわかっていませんが、わたくしの命を助けてくれた恩人です。
助けてくれた恩人の後ろ姿は、今も私の脳裏にしっかり刻まれています。
【岡野和明(現場のプロフェッショナル)】
ゼネコン、住宅メーカーの現場監督から責任者を歴任。住宅メーカー時代は代理店(工務店)の経営・実務指導もおこなっていた、経験豊富なスペシャリスト。現在は現場管理、品質、安全指導のプロフェッショナルとして、工務店からゼネコンなど大小問わず現場を指導。